誰の足跡?

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 今年の夏、リバプール ジョンムーア大学のシルビア・ゴンザレス博士等は、メキシコの火山灰に残された人類の足跡化石が、約4万年も前である事を発表した。従来の説では、アメリカ大陸に人類が移住したのは、最終氷期の約12000年前ごろの事だとされていた。
 しかし、最近南北アメリカ大陸からは、かなり古い時代に人が生活していた痕跡が次々と発見されだした。ゴンザレス博士等の発見も、アメリカ大陸に想像以上に早い時期から人がすんでいた有力な証拠とされていたのだ。
 ところが、この発見にとんでもない疑惑が持ち上がった。カリフォルニア大学バークレー校の地質学者ポール・レン博士等によると、この足跡化石は、4万年どころか130万年も前の物であると言うのだ。レン博士等は、アルゴン/アルゴン法と呼ばれる最新の年代測定方式で、石の年代を測定した。
 レン博士等の年代測定結果が正しいとすると、選択肢は二つになる。130万年も前のアメリカ大陸を人類の祖先が闊歩していたか、化石は人の足跡ではなかったかのどちらかである。
 レン博士等は、人の足跡であるはずが無いと結論付けているが、果たして科学者が人の足跡化石とみまちがうような物が、自然の悪戯で偶然にできるものだろうか?

 実は人の足跡化石とされている物には、数々の謎が隠されているのだ。有名なタンザニアのラエトリで発見された360万年前にさかのぼるヒト科の親子の足跡化石をご存知だろうか。いわゆる、ルーシーの足跡などと呼ばれて、人類の祖先が二足歩行を行なっていた証拠とされている物だ。  この足跡が、二足歩行をしていたアウストラロピテクス類の足跡の証拠として、今でも親指の形が解説されている事が多い。つまり、樹上生活の類人猿では、木の枝をつかむ為に、足の親指も横に大きく突き出しているが、ラエトリの足跡は、人間同様の親指の付き方をしているので、二足歩行をしていたアウストラロピテクス類の足跡だと言うのである。  人類が二足歩行を始めたのは、乾燥化のために森林が無くなりサバンナに適応するためであった。よって、人はまず体つきが二足歩行に対応し、それに続いて自由になった手を使う事により脳が発達したと説明されていた。だから、アウストラロピテクスの足も、人間そっくりであったはずと言う理屈だ。

 ところが、この説明は根本的に間違っていたのだ。最近の発見から、アウストラロピテクス類の全身の構造が、次第にはっきりしてきた。それにより意外な事実が判明した。確かにアウストラロピテクス類が二足歩行が出来たのは間違いないが、同時に彼等は樹上性の生活も行なっていた事がわかった。  アウストラロピテクスの住んだ環境はサバンナどころかジャングルだったのだ。現在のボノボ(ピグミーチンパンジー)が、木を下りた時、時折二足歩行を行うように、樹上から地上に下りた時のみ二足歩行を行っていた動物だったのだ。この事は、アウストラロピテクスの足の化石が発見された事からも確認されている。アウストラロピテクスの足は、人とはまったく異なり、親指が横に突き出た類人猿の足を持っていたのだ。
 つまりラエトリで発見された足跡は、親指の形からしてアウストラロピテクスの物ではありえないと言う事になる。ではあの足跡は何だろうか?人そのものの足跡であるはずが無いとすると、やはり自然の悪戯なのだろうか。矛盾を説明しがたい為、この足跡の話題は余り上らないようである。

 更に、人の足跡化石として、話題に上っているものがもう一つある。アメリカのパラクシー川流域で発見されている大量の足跡である。この足跡化石は、なんと恐竜の足跡と一緒に見つかるのだ。
 これらの異常に古い人の足跡化石は何を意味しているのだろうか?一つ考えられる事は、人と同じ足跡を残す生物が、古い時代にも存在したと言う事だろう。人で無いとしたらいったいどんな生物だったのだろうか?


参考資料
December 3, 2005
Study Raises Doubts About 40,000-Year-Old ‘Footprints’
By Alex Raksin, Times Staff Writer

INN特派員:ハンニバル43世 2005年12月5日


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