スパイ マルコ・ポーロの正体

BGM演奏
INN Head Line News

 「マルコ・ポーロは、ただの商人などではなかった!」アラスカは、シトカで行なわれた学会で、熱弁を振るったのは、米国の人類学者ガナー・トンプソン博士である。 トンプソン博士の説によると、マルコ・ポーロは、勤勉な商人などではなくバチカンに仕える諜報部員だったと言うのだ。
 当時勢力を拡大しつつあった元帝国は、キリスト教世界の辺境をたびたび侵犯していた。元の優れた技術と東方の地図作成のために、バチカンは、マルコ・ポーロたちを、スパイとして元に送り込み、諜報活動をさせていたらしい。
 もちろん、スパイはマルコ・ポーロだけではなく、最初に送り込まれたのは、彼のおじのマッフィオと父親のニコロである。諜報活動を終えいったんベネチアに戻った彼らだが、再度の諜報活動を行なうには、歳をとり過ぎたので、十代のマルコ・ポーロに白刃の矢が立てられた。
 ニコロとバチカンの思惑通り若いマルコ・ポーロは、フビライの信頼を得る事に成功した。やがてマルコは、元の中枢部へと入っていったのだ。
 こうして、マルコ・ポーロは、元の先進技術を数多くヨーロッパにもたらした。鉄砲や大砲などのヨーロッパの火器が大幅に進歩を遂げたのも、すべてマルコ・ポーロたちの諜報活動の結果らしい。マルコ・ポーロたちにより、もたらされた元の先端技術を足がかりにヨーロッパは大きく進歩したのだ。

 これだけでも、従来の常識を覆す驚愕の新説だが、トンプソン博士の驚くべき主張は、ここからが本番だった。トンプソン博士は、地図研究の第一人者でもあり、約5年前 中国人の弁護士Liu Gangが上海の古物商から購入した古い地図の研究やマルコ・ポーロの娘の証言など総合して研究した結果、驚くべき結論を導き出したのだ。地図の注記には1763年に、明代1418 年、Mo Yi-tongによって書かれた地図からの複製と書かれていた。コロンブスのアメリカ発見が、1492年だから、コロンブスの74年も前に書かれた世界地図だったのだ。
 地図は、一見、全体として世界の地勢を正しく表しているが、細かな部分では、色々なエラーや余分なものの書き込みなどが多く見られる。トンプソン博士によると、これらのエラーは、地図のDNAのようなもので、このDNAを他の古地図と比較検討していくことで、地図が実際に古いものの写しであることが証明できる。これらの事実からトンプソン博士が、導き出した結論とは、マルコ・ポーロのアメリカ大陸到達と言う、驚くべきものだった。
 フビライの信頼を勝ち取ったマルコ・ポーロは、元の艦隊を組織して、更に東方を調べる為に大航海に乗り出したというのだ。マルコ・ポーロの艦隊は、オホーツク海、ベーリング海を越え、アラスカ沖を南下して、南米にまで到達した。こうして新大陸の情報を手に入れたマルコ・ポーロ一行は、バチカンに膨大な機密情報をもたらした。
 ヨーロッパの大航海が始まったのは、実はマルコ・ポーロたちにより世界の地形情報が集められた結果であったのだ。トンプソン博士の閉めの言葉は「Columbus was the last!:コロンブスが最後だった!」であった。


INN特派員:ハンニバル43世 2005年9月4日


New Carthago City