箸墓古墳で新発見―大規模周濠の跡

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 最古の定型化された前方後円墳として有名な、奈良県桜井市の箸墓古墳で新発見があった。古墳を取り囲む、非常に大規模な周濠の跡が発見されたのだ。三世紀に遡るとされるこの箸墓古墳の築造年代から考えて、「大規模な周濠は存在し無い」とする説がこれまで有望だった。しかし、この発見ですでにこの時代に、5世紀の大王墓に見られるような巨大周濠が存在した事が確認されたわけだ。
 さて、この発見で、にわかに最注目を集めているのが、この古墳の被葬者である。かねてから箸墓古墳は、その古さと規模、伝承などから邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかといわれてきた。研究者により、若干の違いは有るが、築造年代を最も古く見た場合3世紀半ばとなり、ちょうど卑弥呼の没した年代と一致するのだ。
 築造をもう少し、新しく見た場合は卑弥呼の後の女王・壱与か、更にその後の男王の墓だとする見方も有る。いずれにしろ、時代と規模から邪馬台国時代の有力者の墓だと考えられている。今回の発見で、箸墓古墳が5世紀の大王墓に匹敵する規模の周濠を有していた事が確認され、ますます邪馬台国時代の最有力者の王墓である可能性が高くなったと、報道されている。果たして、本当にそうだろうか?  実は、わが帝国では、邪馬台国の謎を遠隔透視者のマクモニーグル氏に透視で解明してもらうプロジェクトの最中に、箸墓古墳の透視も行っていたのだ。この箸墓古墳の透視は、タクシーの運転手の勘違いにより偶然に行われた物である。したがって、準備を必要とする通常の遠隔透視ではなく、現地で残留思念を読み取るサイコメトリーと言う形で行われた。(詳細は、『邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学』 参照)

 当時、邪馬台国の卑弥呼をターゲットとして遠隔透視を続けていたマクモニーグルは、しばらく、箸墓古墳の斜面に手を当てながら透視を行った後、我々にこう告げた。「この古墳は、ターゲットのものではない。もっと古い」
 なんと彼は、箸墓古墳が卑弥呼の時代よりも更に古いというのだ。彼によると、ここには5人の人物が埋葬されていて、AD180〜190年頃の物だと言う。現在の定説では、前方後円墳が造られ始めたのは三世紀の半ばAD250年ごろ、つまり、ちょうど卑弥呼が死んだ時期であり、箸墓古墳は、その最初期の物とされているのだ。
 したがって、もし本当に箸墓古墳が卑弥呼の時代より古い前方後円墳だとすると、定説と真っ向から対立する事になった。しかし、当然のことながら、我々に本当の事を知るすべはなかった。だが、今回、大規模な周濠跡が発見されたとなれば、箸墓古墳の築造年代を推定できる遺物も出てくるかもしれない。
 もし、現在の常識よりも古い遺物が発見されれば、マクモニーグルの透視が正しかった事が証明される。……と同時に、箸墓古墳は邪馬台国畿内説を支持する証拠から脱落する事になる。その時を期待して、待つことにしよう!


INN特派員:皇帝 2008年8月27日


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